タイトルもないようなくだらない話①

大学生の時に経済の授業で教授から「限定合理性」という言葉を聞いた。少し飛躍した解釈になるかもだけど「どんなに自分が合理的な判断をしているつもりでも自分の知っている範囲の情報からしか判断ができない」という意味。

つまり、なにか一つ新しい情報を知っただけで見え方が全然変わる可能性があるってこと。

限定合理性という概念を知ってから、僕は物事をあまり批判できなくなった。自分が全てを知っているかの如く論じるなんてとんでもない。

以下は例え話だから身構えないでほしい。

例えば「AさんがBさんを殺した」というニュースが流れればAさんは批判されるけれど「実はAさんはBさんに襲われていたCさんを助ける為に殺した」という事実が加わったら世論は変わるかもしれない。

例えば「今日から軍隊を持ちます」とこれまで非武装を貫いてきた政府が言えば間違いなく多数から批判されるけれど「実は裏では他国から侵略されそうになっているから威嚇の意味を込めて軍隊を持つことにした」という情報があれば、批判する人間に考える材料を与えることができるかもしれない。ただ、侵略されそうになっているなんて情報は国民がパニックになるから出せないでしょう。(政治の場合、日本は民主主義だから政府は半数以上の国民に納得いく形で説明する義務はあるんだけどね)

そもそも自分が得た情報は本当に正しいのか。何者でもない一個人が書いたツイート、ライターが面白おかしく煽ったゴシップ記事、それらは果たして正確な情報なのか。一つの物事をとっても視点によって様々な見方があるが、そのいずれかの視点ならまだしも湾曲された、もしくは事実無根なデマであればまた判断は濁る。

ネットでは根拠のない情報が溢れ、テレビでは都合のいい情報が選別される。(選別された街頭インタビューを世論として扱う不自然さはヤバイよ)

僕は世の中の反応を見てると結局みんな自分の言いたいことに沿う情報を選んで、カードゲームのデッキを作るかのように各々が都合のいい「限定合理性」を作り出しているだけにしか見えない。ただ評論家ぶって言うのが目的ならいいのだけど。

本来意見を論ずるにはそれに見合っただけの中立的な調査が必要なはず。実体験の伴った詳しい領域の話は別として、少なくとも巷のゴシップについて僕には調査する暇も熱意もないので答えは大体「わからない」か「論ずる立場にない」になる。きっと僕の知らないいろんな事情や思惑があるんだろうなぁぐらいにしか思わない。

これでも一応芸能っぽい仕事の関係者だから、世間で色々論じられがちな芸能周りで表に出てない(出しても仕方ない)情報をたまに知ることもあって、「まぁ確かにこの情報出てないから世の中はこういう判断になるよなぁ」みたいに思っちゃうことあるのよね。。例えば本当はAにしたかったけれど予算だとか時間だとかいろんな都合で止むを得ずBになってしまったとかね。ベストを尽くしたんだからそんなの言い訳みたいなことイチイチ言う必要ないでしょ?

これが僕の世論に対する違和感。

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